村上春樹も自分でネギを切ったのか? 〜さぬきうどんの異次元・最終章 そして伝説へ〜

いろいろ

なんでこんなにうどんのことばかり書いているのだろう、と自分に疑問が湧いたりもします。
でも今日もうどんの話です。

「なかむらうどん」
この店は世界的作家の村上春樹が、香川県出身の編集者に連れられてさぬきうどん巡りをした際のエッセイにも登場します(新潮社文庫『辺境・近境』に収録されています)。村上春樹をして「なかむらの珠玉の一杯は忘れられない」と言わしめた味。そしてある意味でこの店は、ディープなさぬきうどん屋の象徴で、さぬきうどんブームの礎を作った店です。

この店には伝説がいくつもあって、恐ろしいことにそのほとんどが事実です。

伝説その1「場所のわかりにくさ」。細い細い、近所に住んでる人しか通らないような路地を抜けていくのですが、僕は「なかむら」の噂を聞いて探した初日には、ついに店を見つけることができませんでした。店の場所を覚えた後でもしばらく行かないとまたわからなくなります。なんとも言いようがない、目印が何も無い、本当にただの普通の集落の中、にあるのです。

そしてここかな?と当たりをつけて、軽自動車ならなんとか曲がれるシビアな直角を神経をすり減らしながら曲がると、開けた民家の庭に出ます。庭に車を止めて見渡すと、「店」らしきものは見当たりません。端の方になんだか茶色い小屋(としか言いようがないのですが)があって、もしかして、ここ!?

※イメージです
(実際は木造でもうちょっと綺麗でしたが昔は本当にこんな感じでした。以前は鶏の餌置き小屋だったとのこと)

香川県のうどん屋がちょっとしたブームになった一つの理由は「お店っぽくない」所だと思います。民家だったり小屋だったり、挙げ句の果てにはビニールハウスだったりするので、好奇心の強い人たちが一種の秘境巡りのように惹きつけられたわけです。うどん目的でなければ、かつての「なかむら」を見て誰も「お店」だとは思いません。「ああ、ここは農具入れてるとこだな」と思うだけです。

おそるおそる中に入ると、恐ろしく愛想の悪いおっちゃんが白い物体(うどんダネ)を手でモミモミしながら、こっちをじっと見ています。初回に訪れた時にはそこで硬直してもうどうしたらよいのかわからなくなります。正しくは、せいろに並べてあるうどん玉を自分で丼に入れて、麦茶が入ってるみたいな容器からダシを入れて、おっちゃんに玉数を申告してお会計、となります。

徹底したセルフサービス。そうなのです、そもそも「お店」ではないのですから。秘境系のうどん屋のルーツは、たまたまそこにうどん打ちのうまい人がいて、近所の人が丼を持ってやってきて、「おっちゃん食べさせてや」というところが出発点で、そこから評判が広まって、「それだったら商売にしてみるか」というような感じで始まっているのです。

なので、うどん屋の親父さんからしたら、「なんかまた誰か来たな」的な感覚が抜けないのだと思います。「いらっしゃいませ!」を期待していると、その怪訝な眼差しに圧倒されて息が止まりそうになります。お客さん、どうやってここを知ったの、、、と、耳もとでささやかれてるようなサスペンス状態になって、この店を見つけてしまった言い訳を必死で探す、みたいな心理になります。本来、なんの言い訳もいらないはずなのですが。

でも、誰も親父さんの愛想の悪さに文句なんか言いません。今は知りませんが、僕が通ってた頃はひと玉100円でした。缶ジュースより安いので、サービスを期待する方が間違ってます。(なかむらの親父さんにインタビューした記事が「さぬきうどん未来遺産プロジェクト」というサイトに載っていて、実際は話しやすい方のようです)

「なかむら」の伝説その2。これはさぬきうどんの話の中では最も有名なエピソードなのですが「ネギは自分で切る」です。これも事実です。おじさんにお金を渡したら、あとは薬味を少々かけて食べるだけなのですが、店の真ん中に大きな木製の台がドン、と置いてあって、その上に青ネギの束と包丁とまな板が並べてあります。「自分で切って入れろ」と、おじさんは言いませんが、言ってるのと同じです。ちなみに慣れてる人はネギが少なくなったら裏の畑からネギを抜いてきてそれを切ってたそうですが、さすがに僕はそこまでやったことはないです。

「谷川米穀店」
長らく僕の中ではナンバーワンだったお店です。名前が伝説です。素直に考えると米屋ですし、実際に本業はお米屋さんです。

ここはハイリスクなお店です。かなり徳島県境に近い所にあって、いくら香川県が狭いとはいえ、ここまで出かけてもし閉まっていたら、次のうどん屋に行くのにかなり戻らないといけないからです。

そして、昼の2時間しか営業していません。このスタイルも香川ではそう珍しくはなくて、製麺所系のうどん屋も昼の11時〜13時くらいまでしかやっていなかったりすることはよくあります。
ここも本業はお米屋さんですが、多分、うどん打ちのうまい人が家族の中にいて、なんとなく噂が広まって、、、という起源かと思います。vol.1で紹介したように「ダシを置いていない店」でもあります。醤油をかけるか、卵をかけるか。温かい麺を頼むと水で締めていない、釜から上がったばかりの麺を渡してくれるので、「エッジを楽しむ」というよりも、「小麦粉の香りを堪能する」指向の人にはたまらなく美味しい店です。と言いつつ、僕はいつも温かいのと冷たいのを両方もらって、温かい方に卵をかけて香りを楽しみ、冷たい方は醤油をさらっとかけてエッジを楽しんでいました。大食いの特権です。

「山下うどん」
ここは店構えはわりと普通のお店です。善通寺市という、空海が生まれたお寺がある町の外れにあります。流行りすぎて駐車場が足りなくなり、15年くらい前、ちょっと離れた所に広い駐車場を構えて移転しました。
名物は「ぶっかけ」で、だいたいみんなそれを頼みます。ちょっと常連になると「湯切り」を注文します。何が違うかというと、ぶっかけうどんは水で締めているのでツルツル、湯切りはその字の如く、釜から上げてお湯を切っただけ、という意味で、麺を水で締めていません。なのでやはりこここでも「エッジ派」はぶっかけを頼み、「香り派」はエッジを若干犠牲にして湯切りを頼むということになります。

テーブルの上にぶっかけのだし(かけだしとつけだしの中間くらいの濃さのもの)がたっぷり入った酒徳利がたくさん置いてあって、熱いの、冷たいの、好きな方を選んで自分でドボドボかけて、生姜を自分ですって、レモンを絞ってつるつるつる、、、

※イメージです。子供では持てないくらいの大きい徳利がたくさん置いてあって、熱い方をうかつに触ると「熱っ」てなります。

ここの伝説は、中学生の頃ですが、僕らの間では「ゴムうどん」と呼ばれていた、その圧倒的な麺の太さと硬さです(味がゴムってことじゃないです。めちゃくちゃ美味しいです)。

さぬきうどんブームを経て、有名店も代替わりしたり、新進気鋭の若い名店が続々登場していたりして、今の香川県のうどん屋さんは全体的に味のレベルがぐーんと上がっています。ただ、研究が重ねられたためか、どこか味や麺の太さ、硬さが似通ってきていて、令和のさぬきうどんはどこの店も食べやすくて美味しいのですが、個性が薄れたのも事実です。

かつて僕がまだ学生だった平成初期には、「山下うどん」のように、「ほっしゃん。が鼻から出すのはちょっと無理」な容赦ない太さと硬さの店も結構あって、若かった僕らは、「昼にゴムうどん食べてしまったので今日はアゴが(自由には動かない)」みたいなことを言って笑ったりしてました。実際、大学時代に帰省した時、他県から遊びに来ていた友達の友達が食べ切らないうちに「硬すぎて無理」とギブしていまい、その日の夜中まで両手でアゴをリハビリしてたくらいです。

硬いと言っても石のように硬いわけではなくて、弾力が凄まじいということで、いわばコシが度を越してるわけです。またエッジの話に戻るのですが、さぬきうどんは結局のところ「噛む」目的で作られていないわけです。飲むというと言い過ぎかもしれませんが、シュシュシュっと喉を通して楽しむのが真の姿であり、硬さを語ること自体が本質ではありません。10代の僕らはまだ戦い方を知らず、若さに任せて一生懸命噛んでいたということで、あの頃の自分がなんだか愛おしい。

今は、路地で車をこすらないように気をつけながらマニアックな名店を探さなくても、町なかの店で結構なレベルのうどんが食べられるようになった一方で、あんな暴力的な硬くて太い麺にはもう出会えないのだろうなあ、という寂しさも少しあります。前述の「なかむら」も、今はあの曲がれるもんなら曲がってみろ的なクランクに挑む必要がなくなり、路地の反対側の、河川敷に面した広い道の方に入りやすい入り口とひろびろとした駐車場ができました。川縁の道を走っていてその新しい入り口の脇を通る時、お土産発送用のクロネコヤマトの旗が風に揺れているのを見ると、さぬきうどんの魅力が全国区になって嬉しい反面、誰も知らない自分だけの秘密の場所、みたいだった頃が懐かしいなとちょっと思ったりもします。

また何か思いつけばうどんのことも書いていこうかと思います。ここに記したことはあくまで僕の主観に基づいていることを強調しておきます。それぞれの香川県人がそれぞれのうどんの歴史を持っています。思えば思うほど、香川県は変な所です(笑)

(医師:濱近草平)

コメント

  1. のらねこ より:

    香川県民です。偶然にうどん記事にたどり着きました。
    3話を続けて読み、全く一緒な感性の人がいることに驚きました。若者言葉でいうところの「わかりみが深すぎる」でしょうか。楽しく読ませていただきました。
    県外の方どころか讃岐人でも感じにくい微細な感覚を文章にできるのは、素晴らしいの一言に尽きます。
    青森ではもう秋でしょうか。寒さが厳しい土地ですので、どうぞご自愛ください。
    次に帰郷された際には、おか泉の姉妹店「おかだ」の「ぬる」系か冷や系をおすすめします。

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