ACP 〜どのように生きて、どのように死ぬか〜 

健康や病気のこと

先日、当院の看護師さん、社会福祉士さんと一緒に、県立中央病院主催の「ACP研修会」に出席しました。

ACPと言われても専門的で馴染みがないかと思います。正式名称は「Advanced Care Planning」アドバンスト・ケア・プランニングと言います。日本では最近は「人生会議」と言われたりもします。簡単に言ってしまうと、人生の最後の時期をどのように過ごしたいか、本人、家族、医療・介護・福祉関係者などでよく話しあいを重ね、よりよい人生の終末期を過ごす助けにしましょう、と言うことです。

こう話すと、かなりのご高齢の方や、重い病気をお持ちの方に限られた話かと感じられるかもしれませんが、そうではありません。「人生会議」と言う言葉が表しているように、若いうちから、自分の体が思うように動かなくなった時、どのように過ごしたいか、周囲にどのようにケアして欲しいかを考えておくのはとても意味があることです。

アメリカなどでは「事前指示書」と言って、具体的に「このような状況になったらこのような治療をしてほしい、あるいはしてほしくない」ということを、(なるべく元気なうちに)示しておく、というような書類を作る流れにあります。わかりやすいのは心臓が停止した時の対処で、「心臓マッサージ、人工呼吸器による治療を希望するか」といった希望です。死が近くなるとご本人がはっきりと意思を示すのが難しくなり、結果としてご本人が望まない治療を受ける、望む治療を受けられない、といったことも起こりえます。そのような事態を避けるために、事前に本人の意思を明確にしておく、というものです。

日本でもこの先作る方も増えてくるかもしれませんが、元気なうちに「心臓が止まったら蘇生行為は一切不要」とまで言い切れる人ばかりではないでしょうし、逆に「どんなに辛くてもとにかく延命措置を」という決断も難しいでしょう。日本は文化的に西洋と比べて「死」を心情的に忌避する傾向が強く、言霊文化の国でもありますので、事前指示書を積極的に作る流れになるようになるとは、私個人としては今のところはあまり想像できません。

大切なことは「ご本人の意思が明確なうちに話し合っておく」ことです。これに尽きます。

上述したように、本格的に体調が悪くなった時は、仮にそれが回復するものであったとしても、その時に本人が「こうして欲しい」という意思を示すのはとても難しくなります。大量の酸素を吸っていたり、意識状態が悪くなっていれば十分な疎通が難しいですし、ご高齢だと認知症のためにそういった話自体が難しくなることはご想像できるかと思います。

ただし、認知症があるからといって本人に話を聞かなくていい、ということではありません。あくまで一番大切なのはご本人の希望です。ここも難しいところで、認知症のある高齢者のご希望を、どこまで正確なものと判断するかはかなり困難です。そして本人からの意思確認が十分にできない場合は、それを「推定」することになります。主には家族、場合によっては親しい友人などかもしれません。「○○さんなら、こういう時きっとこうして欲しいと思う」「元気な頃、調子が悪くなった時にはこうして欲しい、と言っていた」と言った話を、家族、親しい間柄の人、医療職や介護職などの専門職で話し合い、できるかぎりご本人が望まれるであろう形に近づけるという作業をします。

家族や周囲の人たちが困らないように、という意味もありますが、一番大切なのは、「自分がどのように人生の終わりの時期を過ごしたいか」ということを周囲に伝えておくことで、豊かな生き方を最後まで貫こう、ということです。

村上春樹の『ノルウェイの森』という小説にこんな一節があり、ちなみにこの一文だけ、太字で書かれています。

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」

まだまだ若くて想像がつかない方もいるかと思われますが、自分がどうやって生きたいか、死にたいか、親しい方とよくお話をしておくのが良いと思います。もちろんそれは人生の段階によって当然変わりうるものでもあり、私も患者さんやご家族さんにお話しするとき、「今話したことは決定ではなく、今後お気持ちが変わればいつでも変えていただいて結構です」と必ずお伝えしています。それくらい重いものだと思います。

死を辛く悲しいものとしてだけ捉えるのではなく、それを生の中に取り込むことで、生をより深く豊かなものにできるのではないでしょうか。そのためにACP、人生会議について、ぜひお考えいただければ幸いに思います。

(医師:濱近草平)

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